[人生]真面目を好きになれた話
「真面目(まじめ)」という言葉が嫌いだった
だってやりたいことをしてただけで言われるんですもの。
ばいすちです。今日は大学1年生だったわたしがある人と出会い、真面目である自分を好きになれたという話です。
真面目っていわれるのが悩みだったりする人だったり、真面目に生きるのがつらい人に送ります。
なぜ嫌いだったのか
真面目という言葉に対して、以前のわたしにとって面白くなかったり、話が通じなかったり、頭が堅いような、そんなイメージを感じる言葉でした。実際出会ってきた中にそういう風に使っているひともいたとは思います。
「いつも勉強してるけどばいすちさんって真面目だよね」、「なんでそんなに真面目なの」、「いや真面目すぎやろw遊ぼうよ」等々…
会話を盛り上げるためのジョークとして最初は受け入れていましたが中学校、高校とずっと言われ続けると、「え、そんなに?」と思えたり、なんとなく小馬鹿にされてるような気がしたりして段々と「真面目」という言葉が嫌いになっていきました。
勉強でも部活でも、ただ自分のやりたいようにやっていただけなのに、自分が今取り組んでいることは周りにとっては損なのかな。自分の考え方が堅いのかな。逆に周りに申し訳ないなと思っていました。(真面目)
ときには言われるのが嫌になって仮病をつかって休んだり、保健室へ行ったり、課題をやってこなかったりしましたが、周りからの評価は「なんだかんだ真面目」と特に変わらず、しかもひどいことに一度やらなくなるとなかなか締切を守れなくなりそんな自分がさらに嫌いになるという悪循環に陥りました。
過去の記事でポンコツ日記書いてるのでよろしければぜひ(小声)
二年前の出会い
大学に進学したわたし。
放射線技師にになるということ以外に何かやろうと明確な目標はなく、とりあえず高校から続けていた吹奏楽を続けようと部活に入部しました。
わたしの大学の部活は一年に4回ほど外部からコーチをお招きして指導していただいているのですが、そこで自分の楽器指導担当のあるコーチに出会いました。
自分を好きになれた
一年生ということもあり一対一で指導していただいていたのですが、指導中にコーチが一言。
「貴方って真面目なのね」
後から聞いたところ、長年教えていると、楽器の指導を通して生徒の性格がなんとなくわかるそうで、指導中にその言葉を聞いたわたしは、思わずとても渋い顔をしてしまいました。
コーチはすぐにわたしの変化に気づき、どうしたのか尋ねてくれました。わたしは高校まで真面目といわれていたこと、真面目という言葉が嫌いなことを打ち明けました。すると…
「え、どうして??」
純粋な疑問形で質問されたものでしたから、わたしは逆に驚いて答えることができませんでした。するとコーチは教えてくれました。
「真面目という意味は誠実であるということ、1つのことに真っ直ぐに向き合うことができるということ。
ときには真っ直ぐすぎて周りが見えなくなってしまうこともあるのかもしれないが、それは貴方のもつ素晴らしい才能の1つだ。だから真面目と言われるのは自信を持っていいことだよ。」
さらにわたしは驚きました。そういう風に言葉に出して伝えてもらうのが初めてだったからです。ちょっとだけ泣きそうになったのを覚えてます。
真面目って才能だったのだ。そう知ることができて少しだけ自分の事が好きになる事ができました。
真面目は損なのか
大学生活3年目=真面目な自分を好きになって3年目を迎えて大きな声でいわせてください。
そんなことないと思います。
損だと思っているのなら大体の人間が同じこと考えているんじゃないでしょうか。隣の芝は青いというやつです。
誠実でない人は誠実である、真面目というある一種の才能を羨ましいと捉えていますし、人間自分とは何か違うものに感情をもちます。人によっては恋愛とかもそうではないでしょうか。
時にはそれが嫌悪、恐怖という負の感情だったりするけれども、だからこそ人と接するのって楽しいなと大学の部活を通じてわたしは思いました。
最後に
わたしはどんなひとにも才能があると思います。それが当たり前の自分の性格として捉えているためにその才能に気がつく事ができないだけであると。
コーチのような気づかせてくれる人にわたしはなりたいなと、そう思います。みなさんも出会えるといいですね。
たなかからのコメント
なんか..........感動秘話でしたね‼️‼️